九州モンの集う部屋「井筒部屋」

どうもこんにちは、寿司です。


今回ご紹介させていただくのは「井筒部屋」です。

現在井筒部屋には、横綱・鶴竜が所属しています。

親方である14代井筒親方は、元関脇・逆鉾関です。


逆鉾というしこ名は、九州地方、宮崎と鹿児島の県境にある霧島山の高千穂峰の山頂にある天の逆鉾 に由来しており、鹿児島県出身の力士がそのしこ名を名乗るのが通例となっております。それもあってか、井筒部屋の力士は、九州出身力士が多い傾向にあるようです。
(親方も、鹿児島県姶良市の出身です)

井筒部屋を興したのは1884年の、5代目井筒親方です。ただ5代井筒親方がなくなった時点で部屋は閉鎖され、現在の井筒部屋につながる流れを作ったのは、元横綱・西ノ海(初代)こと、7代目井筒親方です。


代目井筒は、横綱・西ノ海(2代目)をはじめ、駒ヶ岳・大江山の2大関、関脇・逆鉾等、名力士を輩出しました。


代目井筒は、横綱・西ノ海(2代目)が務め、この代でも後に横綱・西ノ海(3代目)となる源氏山大五郎や、大関・豊國、関脇・錦洋、小結・宮城山の3役力士のほか、逆鉾・一ノ濵・泉洋・星甲など多くの関取を育成し、先代を超え非常に栄えた部屋となりました。


その後弟子の星甲が代井筒を襲名し、鶴ヶ嶺・小松山・葦葉山を育て上げますが、1944年に急逝してしまったため、所属力士は皆双葉山道場に預けられ、一時「井筒部屋」は消失することとなります。


1947年に、井筒部屋の所属力士だった鶴ヶ嶺が引退、それと同時に10代井筒を襲名して井筒部屋を再興させました。

10代目もまた、関脇・鶴ヶ嶺をはじめ、星甲、大雄、錦洋と関取を輩出していますから、井筒部屋を継ぐ力士たちは指導者として非常に優秀だったことがわかります。

11代井筒の星甲は、井筒部屋を継いだものの、名跡変更して7代陸奥を襲名してしまったため、部屋の名称も「陸奥部屋」となってしまい、ここで井筒部屋の名称は消滅します。


1974年、12代井筒を襲名したのは、これまでの時津風一門の力士ではなく、高砂一門の横綱・北の富士でした。北の富士関自身は九重部屋の所属でしたが、分家独立し部屋を興したことで、再び「井筒部屋」の名称が現れることとなりました。

ですが12代井筒は、1977年10月に12代九重を襲名、九重部屋の力士を全員引き取り、部屋の名称も九重部屋に改称してしまいましたので、またあっという間に消えてしまいます。

(この12代目の井筒部屋は、11代目までの部屋の流れは全く汲んでいないので、名前こそ井筒部屋ですが、その中身は全く異なるものとしてご認識いただければと思います。)


井筒の名跡はその後、8代目君ヶ濱(元関脇・鶴ヶ嶺)が12代九重から名跡交換によって手に入れ、13代井筒となりました。これにより君ヶ濱部屋は井筒部屋へと改称。

11代目井筒を星甲関が襲名したとき、井筒部屋所属の鶴ヶ嶺関は8代君ヶ濱を襲名、分家独立し君ヶ濱部屋を興していました。

ですから結果として、再び元の時津風一門の流れの下に、井筒の名跡は戻り、井筒部屋は復活したわけです。



現在井筒部屋には、横綱こそ在籍しているものの、所属力士はたったの4人。かつて栄華を極めた面影はありません。

現井筒親方、新弟子のスカウトぜひ頑張ってください。消極的であるとの話も耳にしますので、もう少しでいいので頑張ってほしいものです。



井筒部屋の紹介は以上となります。

次にご紹介するのは、「入間川部屋」です。

それではまた。
ごきげんよう。


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